広報誌「かちがらす」23号

広報誌「かちがらす」23号 page 5/16

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日本医科大学千葉北総病院救命救急センター平成15年3月医学部医学科卒業もとむらともかず本村 友一さん私は平成15年佐賀大学医学部を卒業しました。勉学はそこそこに野球部で培った集中力、チームワーク、チーム戦略....

日本医科大学千葉北総病院救命救急センター平成15年3月医学部医学科卒業もとむらともかず本村 友一さん私は平成15年佐賀大学医学部を卒業しました。勉学はそこそこに野球部で培った集中力、チームワーク、チーム戦略、多くの経験が救急医療をライフワークとする自身の血肉です。小学校修学旅行は雲仙普賢岳噴火、中学校修学旅行は南九州平成3年(米国多発同時テロのちょうど10年前の1991年9月11日)の大型台風17号・19号被害に見舞われました。高校修学旅行の朝は阪神淡路大震災で、数時間発生が異なれば新幹線ごと被災していました。佐賀大学時代、卒業旅行でアメリカに行くと間もなく2001年9月11日米国同時多発テロ発生(そしてそのちょうど10年後の今日2011年9月11日新幹線で本原稿執筆中!)。この縁あってか救急医療を志すと間もなく災害医療に取り組むようになりました。日本DMAT(disaster medical assistance team:災害時派遣医療チーム)は、阪神淡路大震災でPTD※1(preventable trauma death; 防ぎ得た外傷死)が約500も発生したため厚生労働省と医療者で構築したシステムです。私はDMAT隊員資格修得後、複数DMATを統括指揮する統括DMATに加え、インストラクター資格を取得し微力ながら災害医療システム構築へ尽力しています。平成21年8月より、現職の日本医大千葉北総病院救命救急センターへ異動しドクターヘリ・ラピッドカーを活用した病院前診療、複数科の迅速性と高い能力が必要不可欠な外傷診療、外傷予防学を目指した交通事故調査などとともに災害医療活動を継続しています。東日本大震災へ出動さて今回の東日本大震災では本邦初の災害時複数ドクターヘリ協同ミッション及び広域搬送※2が行われました。佐賀大学チームを含む全国DMAT340チームが活動し被災地内外で献身的な急性期災害医療活動を展開。その迅速性とその活動の重要性が証明されました。発災日の活動3月11日14時46分発災時、私は交通外傷症例の対応中でした。臨時ヘリポートの河川敷は波打ち、複数個所から煙の立ち昇る中、傷病者と病院へ帰還しました。帰還後、被災地情報を収集し県と調整を経て参集拠点病院である福島県立医大への出動を決定しました。日中ミッション後18時35分離陸、19時55分福島県立医科大学に到着、私はドクターヘリ統括者を拝命し統制本部を立ち上げました。※1:災害環境下、通常救急医療と同様の医療行為が提供できれば回避できた死亡※2:今回の様な、被災地域の医療システムが破綻するような大災害時に傷病者を被災地外地域へ自衛隊固定翼機等で搬送し通常診療を提供するシステム東日本大震災における初の災害時複数ヘリ統制ミッションを指揮活躍する佐大OB 4