広報誌「かちがらす」23号

広報誌「かちがらす」23号 page 6/16

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地域学歴史文化研究センター教授あお き とし ゆき青木 歳幸地域学歴史文化研究センターの設立平成18年(2006)に、地域住民と大学と連携して地域学を創出するという目的で、地域学歴史文化研究センターが創設されま....

地域学歴史文化研究センター教授あお き とし ゆき青木 歳幸地域学歴史文化研究センターの設立平成18年(2006)に、地域住民と大学と連携して地域学を創出するという目的で、地域学歴史文化研究センターが創設されました。センターは考古学、地域史・史料学、国文・文献学、洋学・思想史研究4部門からなり、歴史文化を軸とする地域研究や資料調査研究、地域自治体との文化交流事業をすすめています。6回目になる小城市との交流事業では「小城の医学と地域医療」の特別展(10月15日?11月27日まで)を実施していました。蘭学の探求 私の研究は、西洋の学問である洋学(オランダを通じての学問なので蘭学ともいう)が、どのように地域に受容され、影響を与えたかを明らかにするものです。佐賀藩は長崎警備を担当していたので、どの藩よりも早く、西洋の学術・文物を輸入することができました。そのため、幕末期には佐賀藩は、藩主鍋島直正の主導のもとで我が国随一の科学技術立国となり、薩摩藩主島津斉彬が佐賀藩では西洋と同じくらい科学技術が優れている、佐賀藩に負けるなと、家臣らを叱咤激励したほどです。このように佐賀藩が科学技術の先進導入藩であることはよく知られているのですが、じつは、医学研究はあまり進展していませんでした。佐賀藩は医学でも先進藩佐賀藩医学で特筆されるのが、我が国最初の種痘の導入です。種痘とは天然痘の予防のためにイギリスのジェンナーが発明した牛痘ウイルスを人間に植え付けて免疫を得る方法です。嘉永2 年(1849)に佐賀藩医が種痘の接種に成功し、それが日本全国に広まり、多くの子供たちを救いました。佐賀藩は引痘方を設置して、領内の子供達に藩の費用で接種する仕組みを、日本で最初に作り上げました。さらに嘉永4年(1851)年からは、技量の優れた医師にだけ、開業免許を与えるという医業免札制度、いわば医師の国家試験制度を始めました。安政5年(1858)には、医学校好生館を設立し、西洋医学での医学教育を推進し、明治になって近代医学のもとを築きました。このように佐賀藩は医学の分野でも、我が国で最も先進的な藩でした。研究すればするほど、佐賀の先進性や魅力を再発見できます。今年、多くの仲間とプロジェクトの研究成果の一つとして『佐賀学』を刊行できました。これからも、日々、地域学の創出にむけて、そのような「佐賀」の魅力を発見し、発信していきます。佐賀学のススメ地域学歴史文化研究センタースタッフなりあきら2011年/花乱社研究紹介5