日本へのビワ伝来の謎を紐解く!~世界のビワのゲノム研究を実施~

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【研究者】
 代表者:佐賀大学 福田 伸二
 分担者:佐賀大学 永野 幸生
     長崎県農林技術開発センター 稗圃 直史

【発表概要】
 佐賀大学の福田伸二(研究代表者)、永野幸生、長崎県農林技術開発センターの稗圃直史らの研究グループは、日本のビワ栽培品種、日本各地に自生しているビワ、および、世界中から収集したビワのゲノム配列の比較を世界で初めて実施し、ビワの歴史を紐解きました。その結果、江戸時代末ごろに中国から伝来した種子から派生した品種‘茂木’や‘田中’などから現在のビワ栽培品種が育成されたとする歴史の記載が正しいことを確認しました。また、日本各地に自生しているビワは、日本でもともと生育していたもの、もしくは、数千年の間に中国から伝来したものであることを解明しました。この成果は、今後のビワ育種の 新たなる展開に繋がるものです。本研究成果は、英国の科学雑誌「Scientific Reports」誌(ネイチャー・リサーチ社)に6月23日付けで掲載されます。

【論文情報】
 雑誌名: Scientific Reports (ネイチャー・リサーチ社) (2022年6月23日オンライン掲載)
 論文タイトル: Genetic diversity of loquat (Eriobotrya japonica) revealed using RAD-Seq SNP markers
 著者: 永野幸生(1)、田代裕誠(1)、西紗葉子(1)、稗圃直史(2)、永野惇(3)、福田伸二(1)
      1.佐賀大学、2. 長崎県農林技術開発センター果樹茶研究部門、3. 龍谷大学
 DOI: 10.1038/s41598-022-14358-9
 報道解禁日時: 2022年6月23日18時(日本時間)

  

【背景】
 ビワは、初夏を彩る果物です。その栽培の起源は中国南部ですが、弥生時代の発掘物からビワの種子が発見されたことから、ビワは大昔から日本で生育するともされており、その歴史については謎が多い植物です。本格的な栽培は、江戸時代末頃に中国からの貿易船がビワを長崎県に持ち込み、その種子から誕生した植物(後の‘茂木’)の果実が素晴らしかったことから始まったと歴史的には記載されています。そこで、本研究では、日本の栽培品種(以下「品種」)、日本各地の自生系統(以下「系統」)、および世界各国から収集した品種・系統を調べ、最新のゲノム科学により、日本へのビワの伝来の歴史を解明することにしました。

【主な結果】
 本研究では、日本の品種や系統(長崎県・大分県・山口県・福井県・新潟県)および世界各国から収集した品種・系統(中国品種・アメリカ品種・メキシコ系統・イスラエル品種・ギリシャ系統・ベトナム系統)、合計95品種・系統をゲノム配列の特徴から3グループに分類することが出来ました。以下に解明したことを紹介します。

日本品種と中国品種の関係
 日本において栽培されているビワ品種は、上述の品種‘茂木’と植物学者である田中芳男氏が長崎で食したビワから得た種子から誕生した品種‘田中’を中心に交雑や枝変わり(突然変異した枝を接木で増やして利用する方法)で品種数が増えたと言われています。これらを含む日本の品種24品種は、中国の21品種と同じグループ(グループ1)に属したことから、歴史的記載通りに日本の品種は近年になって中国ビワから派生したことが証明されました。
 また、新品種が誕生する方法として、交雑による方法と枝変わりによる方法があります。日本の品種の一つである‘森尾早生’は、‘茂木’の枝変わりで誕生したと言われていましたが、両者は由来が異なることを明らかにしました。さらに、熊本県において偶然に発見されて利用されてきた‘天草早生’および‘天草極早生’は同じものであることが明らかになりました。
 ‘田中’の枝変わり品種として誕生した‘森本’が、‘田中’から派生していることを確認するなど、日本の品種の由来を再調査し、日本の品種を整理しました。

日本の自生系統
 菊池秋雄氏の書物(「果樹園芸学」養賢堂、1948年)では、ビワが自生している場所(福井県、大分県および山口県)には、イヌグス、シロダモ、ヤブニッケイなどの植物と混生していることから、栽培品種が野生化したとは認められず、日本でもともと生育していたと考えるべきであると記されています。そこで、ゲノム配列を調べたところ、日本各地の自生ビワは、日本の品種や世界の品種・系統とは異なる独立のグループ(グループ2)に属していました。このことから、自生系統は日本にもともと生育していた可能性と現在では中国でほぼ使われていない品種・系統が大昔に日本にもたらされた可能性の二つが考えられました。

日本・中国以外の品種・系統
 中国から1784年にフランス・パリにある国立庭園に、1787年には、英国の王立植物園キューガーデンに導入され、その後、広くヨーロッパに普及したとの記録があります。また、アメリカ・カリフォルニアには日本から1899年に導入されたとの記録が残されています。
 本研究では、アメリカ品種、メキシコ系統、イスラエル品種、ギリシャ系統およびベトナム系統は、中国や日本の品種(グループ1)とは異なり、独立した1つのグループ(グループ3)に属することを明らかにしました。つまり、歴史的記録とは異なる結果が得られました。グループ3の起源は不明ですが、栽培品種としては主要ではない中国や東南アジア諸国の品種・系統が起源である可能性があります。
 興味深いのは、ベトナムの系統がグループ3に属すことです。ベトナム人はこの系統を食べません。このことも踏まえて推測すると、ベトナムの系統は、ベトナムを含む東南アジア諸国にもともと生育していた未利用の系統である可能性(つまり、グループ3の起源が東南アジア諸国である可能性)、および、中国からアメリカやフランス(ベトナムの旧宗主国)に持ち込まれた品種・系統が、この系統を好む西洋人の食用のためにベトナムに持ち込まれた可能性が考えられます。

【育種的意義】
日本の自生系統の活用
 日本に自生していて、日本でもともと生育していた可能性がある系統のゲノムの特徴が、現在栽培されている日本・中国の品種とは大きく異なっていました。このことは、この系統が日本独自の「利用価値がある育種素材(育種のために活用できる植物)」である可能性を示唆しています。この系統は、現在、利用されていませんが、将来、有用な性質を見出して、新品種の育成に活用することが期待されます。

未発見の系統を求めて
 ビワの栽培品種は、日本・中国の品種を含むグループ1と西洋を中心とする品種を含むグループ2にはっきり分かれました。このようにはっきり分かれることは、珍しいことです。つまり、両者の中間の系統など、未活用のビワ系統が東南アジア諸国や中国に生育している可能性を示唆しています。これら未活用のビワを収集し、育種素材として活用する必要性が高まりました。

【人類学的意義】
 ビワの栽培品種は、東アジア型(グループ1)と西洋型(グループ2)に分かれました。これは、東アジア人と西洋人の間の嗜好の違いを反映したためだと考えられます。このように人の嗜好の違いにより、栽培植物が見事に二つのグループに分かれたことは、驚くべき発見でした。さて、人の嗜好の違いには、育ってきた環境の違いの他に、遺伝的違いも影響していることが近年わかってきました。ヒトのゲノム研究も盛んな今、人の嗜好の違いを研究するのにビワは格好の素材だと考えられます。

【社会的意義】
 日本にある果物として、私たちはビワを食していますが、鎖国時代に中国から長崎の地に伝来したビワから、現在の主力品種、‘茂木’、‘田中’および長崎県発の優良品種‘なつたより’が誕生したことや、奈良・平安時代の書物に書かれているビワの子孫の可能性があるビワが存在することをDNAの研究で明らかにしました。将来的に日本の自生系統が育種に活用され、日本にしかない独自の新品種を育成することで、ビワ産業が活性化することを希望しています。
 (なお、本研究の一部は、日本学術振興会の科学研究費助成事業により行われました。)

 

【本件に関するお問い合わせ先】
  佐賀大学農学部附属アグリ創生教育研究センター 福田伸二
  TEL:0952-98-2245      E-mail:sfukuda@cc.saga-u.ac.jp

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